日高晤郎というラジオ芸人

高畑勲監督の訃報が流れた日、個人的にはもう一つ悲しいニュースを知ることとなった。

ほぼ35年間、毎週土曜日の8時から17時まで9時間の生放送ラジオ番組をやっていた日高晤郎さんが、数日前に亡くなっていたことを、友人からのメールで知らされたのだ。

IMG_7517.jpg




ここ数年はTVどころかラジオ自体あまり聴かなくなり、地元のニュースもほとんどチェックしていなかったため、本当に気付けなかった。晤郎ショー自体は、たまに誰かが聴いているのを耳にしていたから、まだまだ元気にやっているんだなと勝手に思い込んでいた。まさか今年に入って悪性の癌が見つかっていたとは夢にも思わなかった。

亡くなったことを知ってから、あまり褒められたことでもないが某動画サイト(ぶっちゃけyoutube)で最近の晤郎さんの様子や、最後の出演となった晤郎ショーの映像を納めた番組を観ていたら、こんなに泣いたのはいつ振りか?というくらい鼻水と涙が止まらなかった。癌の影響か、治療の影響だったのかは分からないけれど、数年前の晤郎さんとは似ても似つかない痩せこけた姿で胸が締め付けられた。ファンからの感謝の手紙を読んでいて「ありがとう」の文字で堪えられなくなり泣き出す姿が脳裏に焼き付いて離れない。元気な頃には絶対にお目にかかれなかった、晤郎さんの素顔を最後の最後で見れた気がした。

IMG_7519.jpg

福永俊介の私情丸出しな姿がたまらない.......





毒舌でスタッフ弄りも酷かったが、思いやりの裏返しである部分も多々あって、ただ好き勝手に世間を切り捨てていただけのラジオパーソナリティではなかったと思う。何より他人に厳しいのと同じだけ自分にも厳しかった。ラジオを主戦場と決めてから精力を注いだ話芸に対するプロ意識は半端ではなく、どうせラジオだから分からない(スタジオで観覧している人には分かるけれど)のに、原稿も無しで情感たっぷりと披露する”語り”には毎度痺れたものである。

具体的に何をと言うと難しいが、様々なことを教えられたし、日高晤郎ショーを好きにならなければ落語の面白さを知ることもなく、ドイツ生まれの加湿器を買うことも無かっただろう。吉川のりおさんも自分のラジオで「親のような人を失ったと思っている人が沢山いるんじゃないか」と言っていたが、本当にそうだなぁと思った。中学生の頃から土曜日と言えば友達と遊ぶより日高晤郎ショーだった僕には、本当の父親以上に育ててくれた人だったかもしれない。





喜怒哀楽全部で9時間を駆け抜けるあの声が聴けなくなると思ったら寂しくて仕方ない。ここ数年疎遠になっていた時間を取り戻せるなら取り戻したいとすら思う。

高畑さんの命も奪った癌。いつか簡単に治せる時代が来るのだろうか?

せめて死を受け入れる猶予のある死に方でありたいものだ。宣告からたった数ヶ月で酷い姿を晒しながら死に逝くなど辛すぎる。本人も周囲の人も.....




あんなになってでもラジオを続けた日高晤郎を忘れない。

好きになった相手の前では恋する乙女みたいな顔と声して可愛らしかった日高晤郎を忘れない。

というか、どの日高晤郎でも忘れ難いよ......





IMG_7520.jpg
posted by lain at 11:50北海道 ☔ラジオ

高畑勲という自由人と遺された人

昨日は朝からショッキングなニュースが飛び込んできた。高畑勲監督の訃報である。

スクリーンショット 2018-04-07 6.07.46.png



何がそんなにショックって、常にあらゆるものに興味を持ち、どんな些細なことでも調べ尽くしてから前へと進む制作手法が許される唯一のアニメ監督だったのではないか?と思うからだ。

通常世の中でそんなことが許されるのは相当名の売れた芸術家だけ。高畑さんのアニメは確かに昔から素晴らしかったものの、70〜80年代は日本のアニメを芸術として認めて貰うには厳しい時代であり、ジブリの立ち上げに参加し、弟子であり盟友であった宮崎駿が大衆向けの娯楽作品を連発しなければ彼の道楽の為のお金など無かったはず。「ホーホケキョ となりの山田くん」も「かぐや姫の物語」も当然存在出来なかった。


何故ジブリと宮崎駿はそこまで高畑勲に甘かったのか?そう思う人も多いだろう。なにせ宮崎駿がナウシカで稼いだ金をドキュメンタリー映画に費やし宮崎が家まで抵当にいれる羽目になったことまであるのだ。どう考えても普通なら付き合いをやめるところだろう。それでも彼らはそうしなかった。何故か?

ジブリの2人の巨匠と付き合い続けてきた鈴木敏夫氏の話をラジオで聴いた限りでは、アニメーターとしての青春を全て高畑勲に捧げた宮崎駿の屈折した愛情が高畑の勝ち逃げを許さなかったという印象があるし、敏夫氏はそんな宮崎の対抗心を上手く誘導するため高畑勲監督に映画を撮らせ続けたように思える。物造りに携わる者達の愛憎関係は側から見る分には本当に面白いものだ。たかが数万円の損失で溜息を吐く僕など到底彼らの輪に入れないだろう。







高畑勲監督には色々と驚かされたが、やはり亡くなったことが一番驚いた。また鈴木敏夫氏の話になるが、氏のラジオで宮崎と高畑と健康診断を受けた時、一番健康だったのが高畑さんだったというエピソードも聴いていたし、何より髪が黒々としていて見た目も若々しく、あぁ、好き勝手に周囲を振り回す生き方してると若くいられるんだなぁと思っていたのだ。どんなに健康そうに見えても死ぬ時は本当にあっという間だ....

欲張りな高畑さんだから、悔いのない人生ではなかったに違いないが、これだけ沢山の作品を遺せているのだから素直に成仏して欲しいものである。



というか、むしろ高畑さんを失った宮崎駿の方が心配ではある。伴侶を失い気が抜けて自分もポックリ逝くお年寄りみたいになったり、せっかく立ち上げた新作「君たちはどう生きるか」がモチベーションの低下によりスッカスカの映画に仕上がったりするのではなかろうか?

風立ちぬの時、これが遺作になるだろうと思ったものだが、せっかく作るのなら悔いのないようにやり遂げてから高畑さんに文句の一つも言いに行ったら良い。まあ素人に言われるまでもなく、意地でも良い物にしてやろうと思っているだろうけれど.....




最後に、パクさんとパクさんを支え続けた人達全てにお疲れ様と有り難うを捧げます。









posted by lain at 07:12北海道 ☔アニメ

”赤尾でこ”な”三重野 瞳”

声優が普通に歌手としても活動する今が第何次声優ブームなのかは分からないけれど、僕が声優の演技ではなく歌の部分を好きになったのは、かれこれ20年以上前のことになる。

当時一番人気があったのは林原めぐみで、演技の上手さが歌にも活かされており素晴らしかった。それに続く”國府田マリ子”や”椎名へきる”は歌の仕事の方が印象強く、特に國府田マリ子は自分の歌の世界を上手に拡げていたように思う。”井上喜久子”ねぇさんや”宮村優子”も含め、あの時期は声優の歌に何度も励まされたものだった。


そんな90年代中頃の声優アーティストブームに乗っかって「この人何処から出てきたの?」というアニソンアーティストも増えた。普通のアイドルとしては成功せず声優になるもいまいち伸び悩んだ”水野愛日”や、アニソンで素晴らしいデビューを果たすも一般向けの楽曲による勝負に挫けアニソンに戻ってきた”松澤由美”、今では多くの人が知っている”高橋洋子”さんもそうだろう。まるでメジャーリーグで駄目だった人が日本球界で大成功するみたいに、アニメに関わってようやく日の目を見たという人が兎に角増え出した。そして三重野瞳もまた、そんなアニソンで花開いた人だった。




今考えると有名な声優でもアーティストでもない新人歌手をアニメ畑でデビューさせるだなんて、かなり思い切ったことのように感じる。歌唱技術がすごいとか、見た目が凄く可愛いというわけでも無い彼女であるし。ただ、頂いた歌を一曲一曲大事に歌う姿勢が見えて来そうな歌声は素朴で暖かくて可愛らしかった。理屈で説明し難いところに彼女の良さはあったように思う。良い意味で心の隙間に入り込む巧さがあったのだ。





久々に「ベリー☆ロール」というアルバムを引っ張り出したら、やっぱりあの頃と変わらず励まされた。ちょっと早めの夏を味わえる「ラムネ日和」みたいなポップな曲も良いが、やはり素直に励まされる「がんばって」「ヤッホー!」「Pitch」のような曲が彼女は良い。今ではすっかりアニメのシリーズ構成や脚本のお仕事がメインになっているが、歌のお仕事も続けていって欲しいものである。












posted by lain at 07:13北海道 ☔アニメ