『妬み』を競う競技があったなら、世界中で金メダルが生まれそうでセンチになった

2月9日に開幕を迎えた平昌での冬のオリンピック。当初は北朝鮮問題で冷え切ったムードだったものの、熱戦に次ぐ熱戦でそんなことは御構い無しに盛り上がって来た気がする。


勿論僕のような者は大会全体をチェックしているというわけでもなく、自国の選手達の頑張りですら大して見ていない。それでも高梨沙羅の銅メダルを感極まりながら祝福する伊藤有希や、腐女子でなくとも勘違いしそうな男子フィギュア選手達の熱い抱擁には胸が熱くなったし、勝ち負けを超えた友情の美しさを教えてくれた小平奈緒の男前過ぎる姿には、こんなアジア情勢だからこそ、せめて自分たちだけでも国境を感じさせない存在であろうとしているかのようで惚れた。






それはそうと、これだけ次々名場面が生まれているというのに、水を差す輩は後を立たない。金メダルを期待されていた選手が銅で終わったことがダメだという程度のは序の口で、一番酷かったのは羽生くんに対する一部の反応だった。マスコミへの対応や同じコーチの元で頑張ってきた外国人選手との抱擁を性差別的な表現で貶めていたのだ。確かに彼は特有の何かがある。ゲイである可能性もあるだろう。だがそれがどうしたというのだろう?今時”男なのに” ”女なのに”という尺度で語れないように、もしもゲイだったらどうだというのか?そもそもゲイかどうかはスケーティングの素晴らしさに関係無いのだ。それどころか羽生くんが同性愛者ならば、更に彼を支持する層が増えるだけだろう。


どうしても生理的に受け付けないというのはあるとは思うものの、それはそれ、これはこれと素晴らしいことは素晴らしいとまず認めてから「ただ」と付け加えるべきではなかろうか?僕はイチローの性格が大嫌いだが、野球をやっている時の彼の本気さは凄いと思うし、身体を整え続けられる限りは現役を続行して欲しいとすら思っている。単純に好き嫌いだけで誰かの美徳まで貶めるのはあまりにも心が貧しい話である。




失格となった自国の選手の代わりにメダルを得た他国の選手のSNSへ酷い書き込みが行われたなんていう話もちらほら見かける今回の五輪。実際に戦っている選手たち以上に、見ているだけの僕らが自分自身と戦う必要があるようだ。閉会式を待たずに帰国する選手達への批判にしても、それだけの”滞在費”を与えていない人たちが口にしているのだから片腹痛い。少ない予算とは言え国からの補助は税金なのだから、それを受け取っているのに成果を出せていない五輪選手へ不平不満を並べるだけの権利があると思考したくなるのも分かる。だが、それこそ批判すべきはJOCに投資する国の方だ。


まるでスポーツに興味がない人達に五輪の全てを肯定しろとは言わない。むしろ五輪など利権で汚れきって裏側は真っ黒なのだし。しかし、だからこそ槍玉に挙げる相手だけは間違えてはいけないと思った。




posted by lain at 07:01北海道 ☔雑記