いつの間にか、読んでいるこちらまで物語の中の連中と一緒に修行させられていることに気付き、少々鬱陶しいなぁと思うようになってしまった宇宙皇子。しかしあと19冊で本編が終わると思えば、少々の苦痛もなんてことはないのかもしれない。

今度の舞台は地獄。生前の行いが悪い奴には、死んだあとも罰を与えてやるから覚えておけ!....という脅し文句が犯罪を抑制すると考えた昔の偉い人が作った、ドM狂喜のテーマパークだ。
殺人や無闇な殺生を行なった者達が延々と殺し合いをさせられるアトラクションを楽しんだり、小腹が空いたら仏教の教えを損なう考えを広めた連中の鉄板焼きで舌鼓を打って、ちょっと食べ過ぎたなぁ~なんていう呑気なあなたには、舌を抜いたり肛門に鉄を流し込むリラクゼーション施設がオススメです!是非とも無限の苦痛をお楽しみ下さい(はぁと)
という場所だそうな。仏教徒じゃないから僕は行けそうにない残念(棒読み)
そんな1巻目は、小角先生にいきなり地獄を巡って来いと言われ、右往左往する皇子達が、まるで天国のような住み心地の場所(地獄なのに)に辿り着き、そこで49日の猶予を与えられて過ごしている亡者供のグータラさに呆れ果て、またもお節介をするという展開だったのですが、この亡者供がどうしても他人に思えず、なんとも言えない気分になりました。
夢も希望も無い、暇潰しだけが人生だと言わんばかりの生活を送っている者としては、どうせ地獄へ落とされるなら、今だけでも怠惰な生活を送りたいという亡者達の気持ちがよく分かる。勿論、だからと言って何一つやらずに生きて行けるものでも無いですし、仕事だってやるからには自分なりの誇りを持ってやってはいますが、「どうせいつの日か死んでしまうのに何の意味があるのか?」という気持ちは拭い去れない自分がいます。
もしも何不自由なく過ごせる環境があったなら、僕も亡者たちと同じように、死ぬまで勤勉たれと教える皇子を拒絶したことでしょう。
良くも悪くもバブル期前後を生き抜いた方の清廉潔白な気合論だなぁと思いました。実際には皇子や各務のような、自らも身体を張って寄り添ってくれるような存在は現実にまずいません。正論だけで生きられるなら苦労はしないのです....
意外にサービスしてる気がする挿絵達
「地獄」
そこは死んでから逝く場所だと言うけれど、そこそこ長く生きていたら、この世にも地獄と変わらない瞬間がいくらでもあります。なのに死んでまで地獄を堪能しろだなんて、仏教もなかなかに世知辛いものだと思いました
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