飛べない大人が見上げた空に「空飛び猫」アーシュラ・K・ル=グウィン(著)/村上春樹(訳)/感想

 僕は猫が好きだ。村上春樹も好きだ。アーシュラ・K・ル=グウィンはもっと好きだ。ならこの本は読まずに居られるはずもなかったのです。

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産んだ子猫に何故か羽があって戸惑うジェーンお母さんと子猫たち

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猫というだけで自由な気がするが、羽があれば更に自由なのだろうか?




 とは云うものの、猫を飼ったことは無いし、村上春樹やル=グウィンも古書で少しずつ集めていても、まだその一端に触れたことがあるだけで、大ファンなどと大口を叩けるほどではありません。まあ、だからと言って厚かましくも自分達のことをハルキストなどと自称する熱烈さがあれば良いと云うわけでもないとは思いますが、好きになった作家の作品は読んでおきたいと思うのが本好きの正直な気持ちでして、こうして好きな物が掛け合わさった本を読めたことは素直に嬉しいです。

 本作はシリーズ物で4作品出ており、1冊目の「空飛び猫」では、羽を持って生まれた4匹の猫が親元を離れ、都会の喧騒から田舎の大自然へ(人間ならば田舎から都会という対比も面白い)と足を踏み入れ、自分達の領分を犯す者を良しとしない生き物達に洗礼を受けたり、彼らに優しく接する人間と出会うまでが描かれているのですが、もう兎に角挿絵(J・D・シンドラー)とル=グウィンさんと、それを訳した村上春樹氏のバランスが絶妙過ぎて最初の数ページだけで心をもって行かれました。猫の可愛らしさは翻訳の必要が無いので、やはりル=グウィンさんらしい包容力と厳しさをちゃんと日本語で表現出来る村上春樹氏の非凡さ故の仕上がりなのかもしれません。


 自らは羽を持たないジェーン母さんが、子供達の将来を想い送り出す姿や、出る杭を打とうとする旧態然とした森の住民達の空飛び猫に対する反応、そして、そんな彼らと友達になりたい人間達の様子。読んだままの意味合い以外の何かを何処となく感じさせつつ、胃にもたれない程度にそれを納めている辺り、ゲド戦記とはまた一味違うル=グウィンさんが垣間見えて面白い。せっかくの羽を痛めてしまった空飛び猫の感情の流れや、猫から見た人間達を”手”という単語を用いて表現していたのも、とても印象的でした。

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森を代表するフクロウの機嫌を損ねた空飛び猫危うし...



 飛べる羽があるのなら、その羽を活かして生きてみなさい。そんなメッセージがひしひしと伝わって来る良い本です。子供は勿論のこと、生きる強さを失いそうな大人にこそ読んで貰いたいと思いました。

 おしまい.....
posted by lain at 07:16北海道 ☔小説

モップ代わりのウェディングドレスと矮小な心

十数年ぶりかに結婚式へ行った。年寄りや疎遠な親類縁者ばかりであるし、会社の同僚は地味婚が多く、友人が片手で数える程度の僕を呼ぶような酔狂なひとも、今回で最後に違いない。


はっきり言って行きたく無かった。昔から連んでいる”あいつ”で無ければ絶対に。そもそも結婚式と言う物が僕は嫌いだ。

何しろ、盛大な披露宴を開いた二人の姉は離婚。父方の祖父は他所の女を作り蒸発。父の妹は再婚するも娘が母親と同じような生き方を始めて手が付けられないという身内の結婚事情を目にしてきたから、なんの為に大勢の前で晒し者になってまで離婚フラグや不幸を呼び込まなければならないのか?と言いたくなる。

ある種の脅迫なのだ。これだけの人数に集まって貰ったのだから、お前ら別れたりするんじゃねーぞ!と....しかし何故最初に結婚した相手がベストな伴侶だと言い切れるのか?一度や二度、深く知り合う体験をしてみなければ、血の繋がりの無い男女が家族になるとはどういうことか分からないのではないか?世の中じゃ未婚以上に再婚を繰り返す人が悪く言われるし、実際何かしらの問題を抱えている場合が多いけれど、もっとフランクに今だけでも幸せを感じとけよー!!くらいの感覚の方が良いように思う。


新郎とはお互い唯一に近い関係だから友人代表のコメントを求められていたのだけど、事前に考えていた物を読むのをやめて噛み噛みのありのままで話してみた。無作法だし気の利いた事は何一つ言えなかったけれど、会場は笑いに包まれていたから良かった。本音を洗いざらいぶちまけ、全てぶち壊しになるようなものも考えていたけれど、読まなくて本当に良かったと思う。結婚式は好きになれないが、楽しげな人達をわざわざ悲しくさせるのは忍びない。



あいつの奥さんになるひと、綺麗な人だった。新郎と新婦の釣り合いは取れていないと思う。久しぶりに目にしたあいつのお母さんや妹さんも綺麗なひとだし、あの家の男供は女性を見る目は確かだ。色々と面倒臭い俺に気を使って話し掛けてくれた妹さんありがとう。君もお子さん共々幸せになってくれ....

幸せいっぱいな場所に当てられ、身も心も懐事情も空っぽになった。

もう二度と結婚式なんて出たくない。

俺は結婚式が嫌いだ。
posted by lain at 06:57北海道 ☔雑記

生きる為に死に、死ぬ為に生きる「イデアの影」森博嗣/中央公論新社

 コミック版「黒猫の三角」で出会ってから、森博嗣さんには様々な美しい光景を見せて貰った。

 学者や泥棒、戦闘機乗りに侍、人妻から殺人犯に至るまで、森先生の手にかかれば歩くポエマー状態で、なすがままにしているだけなのに生き方がこうも美しくも儚くなるものかと溜息が漏れる。

 本作の主人公である女性も、並の作家なら心が壊れた可哀想な人で切り捨てそうなところを、生死を超えた自由な存在へと昇華させていて、物悲しさ以上に憧れを彼女に覚えてしまうほどだった....



彼女は病院にいる。館を離れ、あの家政婦から逃れ。彼女は思う。彼らとの出会いと別れを――理知的でリリカル、不可思議で繊細。ガラス細工のような、森博嗣の「幻想小説」。

by 中央公論新社HP



 おそらく宮崎駿監督の「風立ちぬ」前後のレコードや田舎のサナトリウムがキーワードになるような時代のお話で、家政婦や秘書、通訳まで雇える社長の妻が主人公。別に驚くべき出来事が起こる作品ではなく相変わらずの淡々とした展開からの心理描写で見せる内容なので気にせず展開を話してしまえば、籠の中の鳥状態で飼われている主人公が誰かと親密になる度人が死に、彼女の中の何かが少しずつ変化して最後には......といった感じ。 毎度彼女が新しい生き甲斐を見つけそうになると、それが失われるため、この先何やら怖い展開での待っているのかと、少し身構えていたりもしたけれど、終わってみれば不憫な人妻と一緒に不自由な生からの解放を味わい、ほんのりセンチな気分になっていた。


 『神様から命をお借りして、この死というものを体験させてもらう。そんなツアーを、人生と呼ぶのだ。』



 作中度々使われる神様から命を借りているとの言葉が印象的で、生き死にに怯え暮らすより、どうせ拾った命なら存分に楽しめというメッセージを僕は感じた。人によっては後ろ向きな内容だと受け取るかもしれないが、生き続けることが死に向かう行為であるのは覆せない事実であるし、それならばどう死ぬかどう生きるかも等しい価値を持ち合わせていると言って差し支えないのだから、死ぬことすら心底望むなら前向きな行為なのだろう。

 何にせよ、「生きている」というのは烏滸がましい意識だ。せいぜい「生かされている」が僕らに赦された表現だ。

 生かされているうちに、自分なりの前向きな死を見つけられたら、今よりマシな生き方が出来そうな気がする秋空だった。



posted by lain at 07:15北海道 ☔小説