虚しい 寂しい と言ったら終わり

人が真に何かを求める時、他の誰かのことなど頭から消えてゆく。だから世の中で大罪人と呼ばれる人も、大勢の尊敬を集める人も、利己的な欲求がエネルギー源であることに違いは無い。

同じように、人殺しに「なぜ殺したのか?」と問うことも、スポーツ選手に”今の気持ち”とやらを尋ねるのだって、聞いた本人の利己的な行動に過ぎないわけだが、その事実を理解していない人間が意外と多いように思う。


そんな利己的な存在である人間の運命を分けるのは、自分の嗜好が多数派かどうか、そして対面を取り繕うだけの理性が働くかどうかだ。それらを上手く熟せた者は、社会で広く愛される存在になれる。しかし、使用されるエネルギーは変わらないのだから、上手く生きていても腹の中は醜さで溢れていることに変わりは無い。時折”まさかあの人が...”といったニュースが流れ溜め息が出るが、罪をおかして周囲を裏切った人よりも、彼らの表層だけを掬って、勝手にイメージを膨らませた側にも罪はある。

他者に言い辛い衝動を抱えた人間の命運も同様で、自分の衝動の本当の姿に上手く味付けを加えることが出来れば、文豪だの漫画家だの呼ばれるが、不器用な連中は監禁事件や連続殺人のニュース等でしか主役になれない。そして僕もどちらかと言えば後者の人間だ。何をどうしてもひっくり返しても、その事実は覆らない。




昨日、ブログに2ちゃんねらー風の中傷コメントが残された。本人にとっては普段と同じような書き込みなのかもしれないが、実際かなり辛かった。もう何年もブログを書いているが、こればかりは慣れることは無い。コメントをそのまま残しておけるほど、自分が強く無いことを実感しつつ削除した。

別にこのブログを好きになって貰わなくとも良い。理解されなくても良い。誰からもお金を貰わず、趣味で書いているだけの場所だから。ただ、わざわざ時間を割いてまで、自分の溜飲を下げるために攻撃してくるのだけはやめて欲しい。そんな事を繰り返していたら、この気持ち悪いブログの持ち主以上に気持ち悪い人間に成って行くことだろう。

今までこのブログにコメントしてくれた物好きな方々には感謝の気持ちしか無いが、今日でコメント欄は廃止することにする。








「言葉は無力と誰かが言った 無力と言うのも言葉と知れば 恨み辛みも嫉妬も賛美も 全弾こめて、悲観蜂の巣だ」

amazarashiはそう歌う。

短い一言でこれだけ傷つくのだから、言葉が無力だなんて事は絶対に無い。

無益、ではあるのかもしれないけれど......
posted by lain at 07:11北海道 ☔雑記