これは「鶏が先か、卵が先か」
そんな話なのかもしれない。
なんの話かって、子供が肉感的だから大人が道を踏み外すのか?大人が脆弱だから子供が肉感的に見えるのか?ということ。真性のロリコン・ショタ好きな人間を世間一般と比べるのは論外としても、広く一般的に人気のあるアニメ・漫画・実写に至るまで子供への屈折した愛情表現が存在するのは事実であり、大小あっても誰もが子供への性的衝動を抱えていると言っても過言では無く、単純に自覚が有るか無いかの差でしか無いようにも感じる。
子供がエロチックな存在であるはずがない!と当然言い張る方もいるだろうが、ちょっとだけ胸に手を当てて思い出して欲しい。自分が幼かった頃、保育士の女性の柔らかそうな唇や胸の膨らみにドキドキした経験が無いだろうか?それは大人から子供ではなく、子供から大人への衝動ではあるものの、無知から来る無自覚さの違いでしかなく、大人・子供に関係なく性的衝動が備わっている証拠に他ならないように思うのだ。
そして、子供が無知でエロチックな可愛らしい存在であればこそ、一線を超えず大事に育んであげるべきなのである....
何故にこんな回りくどい言い訳をしているかというと、初めて読んだ福島鉄平作品が思いの外面白かったから、としか答えようがない。
作者曰く「少年誌では なかなか描きづらいもの」をなるべく描いたと言う短編集の冒頭を飾る表題作「アマリリス」からして際どい内容で、親に売られた普通の少年が夜な夜な女装をさせられて、小児愛好家の集まるお店で歌を歌ったりお酌をしたり、身体を触られキスを強要される生活を強いられ、これまでの普通の日常とのギャップに苦しみ、汚れてゆく自分を蔑んで大事な友人を遠ざけ大人への道を歩んで行くというストーリーが絶妙な匙加減で展開するものだから、罪悪感を感じつつも健気な男の子の汚れ具合に性的な魅力を感じてしまい、なんとも言えない後味が残った....
子供向け漫画を描いて来た福島氏の可愛らしい絵が、無垢な子供の若くして背負った物の重さを更に際立たせていたように思う。大人向けの子供向け漫画とでも言えば良いのだろうか?ほんのり温かい物が残る中にも、それだけじゃない苦さがあるのだ。
その他の短編も含め、男の娘やショタが好きなロクデナシだけでなく、温かいだけの世界に物足り無さを感じる全ての人に読んで貰いたい漫画だと思った。