私は、普通の人間に見えますか?

いつものように目覚ましも無しに起きた朝、シャワーを浴びて出てくると、茶の間から聞き慣れぬ国歌が聴こえて来て、なんと無しに”吉田沙保里”が負けたのだと悟った。



リオ五輪での女子レスリングはとにかく派手な始まり方をした。登坂絵莉が残り13秒で逆転勝ちを収めると、それに続いた伊調馨は、その記録を残り4秒にまで縮めて勝利。重量級である69キロ級でもポイント劣勢の場面から土性沙羅が金メダル。ここまで日本に追い風だと、世界の大きな舞台で何大会もの間負け無し(個人戦)の存在だった吉田沙保里に期待したい者など居るだろうか?

だが待っていたのは吉田沙保里敗北の知らせだった。普通の女性ならば絶対に喜ばない"霊長類最強"の異名を付けられた33歳も、やはり人の子だったのである。余計なことばかり聞くインタビュー相手に何度も負けたことを謝る彼女の姿を見ていたら涙が次々溢れて来た。

モニター越しでは伝わりきらない重責を担って来た吉田沙保里。互いにモチベーションを高め合って来た伊調馨に対しても申し訳ない気持ちでいっぱいだったに違いない.....



昨夜、すっかり失念していた「境界の彼方」の劇場版を観て、世間から普通の人として見て貰えない男女が惹かれ合う様子に切なくも羨ましい気持ちにさせられたが、これを機に吉田沙保里も女性としての自分を1番に考える人生に目を向けても良いんじゃないかと思った。

幸せは人それぞれある。自分の為だけ生きる者もいれば、自分の意思は二の次で誰かに望まれる自分であろうとする者もいる。当然女性だからと言って、恋愛や結婚が絶対では決して無い(吉田沙保里本人は色恋に積極的らしい)



ただ、無用な謝辞が最初に口をついて出るような生き方は間違っているように思えてならない。謙虚さは美徳であるが、度が過ぎると自らの人生を棒に振ることになる。

彼女を取り巻く人々だけでなく、彼女自身そろそろ霊長類最強から吉田沙保里を解放してあげても良い時期が訪れているのかもしれない。
posted by lain at 07:02北海道 ☔雑記

INZEALからコタ アイケアへバトンタッチ

 ここ数年なかなかコレ!という物に決めらず、不毛なシャンプー選びが続く私だが、去年から1年近く”INZEALシャンプー”で落ち着いていた。

IMG_8886.jpg




 匂いも気になら無いし、泡立ちも良いし、洗い流した後のすっきり感もなかなかのもので、トリートメント代わりのモイスチャーゲルも気持ち良かった。

 ところが、何ヶ月か使っていると、また頭皮の痒みが気になりだした。丁度乾燥時期に入ったからなのか?はたまた僕の生活環境が問題だったのか?洗い方が足り無い?それとも多すぎる?あれこれ試して悩んでいるうちに、今度はストレスで頭が痒くなっているんじゃないかと思うようになったところで、残念だけどINZEALには別れを告げることにした....




 で、節操の無い僕の今度の再婚相手は、”コタ アイケア シャンプーY”

IMG_2441.jpg


これまた少々値が張るわけだが、シャンプー800ml、トリートメント1000ml、セットで9000円を切る(Amazon価格)価格帯というのは、このランクの商品で安い方だろう。

 ノンシリコンでありながら、妙にぬめぬめしたシャンプーで、洗い落としがすんなりいかないし、床屋さんに行くと使われるアレと同じような匂い(普通に床屋や美容室でも使われているシャンプーらしい)が個人的にあまり好きでは無いが、洗髪後の頭皮や髪のツヤは今の所全く文句無し。



 というか、もう良い加減コタでもだめならお前が悪いんだろ?状態のところまで来てしまった感じがする。本当にノンシリコンを諦める時が迫っているのかもしれない。シリコン入りのシャンプーを使わずにいることで、将来どれだけ頭皮に良い影響を与えるのか、ちっとも実感出来ないのは本当にしんどい。

 行き着く先が文字通り不毛の地で無いことを祈り、今暫くノンシリコンの旅を続けよう.....
posted by lain at 07:16北海道 ☔雑記

人は考えることで人に成る「ハンナ・アーレント」マルガレーテ・フォン・トロッタ(監督・脚本)/感想

 ブログを書くようになってから、終戦記念日であるこの時期は戦争を扱った作品に触れるようになった。銃で飢えで迫害で、数え切れない人が創作の中でも死んでゆくわけだが、1年、また1年と戦争から遠のく度、”陶酔”を含んだ内容の作品が増えて来ているようで少々残念だったりする。派手に銃弾が飛び交い、兵士の悲哀がドラマチックに描かれているのは確かに甘美なのかもしれない。でも、根本的な問題に踏み込んだ作品がもう少しあっても良いのでは無いかと思うだ。

 去年はそういう意味で実に良い作品に出会えた。塚本晋也監督の「野火」である。極限状態の人間が”思考”することの困難さ、そして、人間がいかに葛藤しようとも、世界(自然)は常に在るが儘であるということを生々しく描いた作品で、見終わった後は心底戦争は嫌だと思ったものである。今回観た「ハンナ・アーレント」からも、野火と同じく”思考”することの大事さを感じた気がした。




 相も変わらず不勉強さを露呈するだけの話だが、ハンナ・アーレントなる人物を初めて知った。ナチス統治のドイツからフランスへと亡命し、フランスがドイツに屈したせいで一時収容所暮らしになるも、夫と共にアメリカへと逃げ延びた著名な女性思想家だそうな。伝記的な本作でハンナは、他国へ亡命していたところを捕らえられたアドルフ・アイヒマンの断罪裁判を傍聴し、彼の罪を独自の解釈で記事として発表したことで窮地に立たされることになるが、彼女の主張は学の無い僕でもヒステリックな連中とは違う客観視に溢れた物だと分かる内容で、終盤大勢の前で持論を展開するシーンには釘付けになった(バルバラ・スコヴァの熱演が光る)。弾圧によって生まれた歪みを弾圧によって埋めようとする人々に悪の本質を問う勇気が素晴らしい。

 しかし、一方では理性で解決出来ない憤りを抱えた人たちの気持ちも良く分かる。いくら国を追われ、一時でも収容所に入ったことがあるとは言え、ハンナはのうのうとアメリカ暮らしの女性だ。目の前で家族をガス室に送られた人達と境遇が一緒だとは言えないだろう。客観的に思考出来たのも環境の賜物であると言われても仕方ない。思想の為に友人を失ってゆくハンナの物悲しさが、正論は人を傷つける物でしか無いのだと雄弁に語っていて、戦争はこんなところにまで葛藤を生み出すのだと、しみじみ思ってしまった。




世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です
そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない
人間であることを拒絶した者なのです
そして、この現象を、私は”悪の凡庸さ”と名付けました

 『悪の凡庸さ』と名付けてしまえばお洒落にまで感じる言葉だが、現代に蔓延る凡庸な悪の数々を思うと、他人事で済ませられない怖さがある。

 ルールだから

 言われたから

 いつもしているから

 そうやって思考を停止させている瞬間が誰にだってあるのでは無いだろうか?

 子供は将来の為と言われ、何に使う公式なのかも知らず解き方を学び。大人はマニュアルに無いからと手を止めて面倒な事はたらい廻し。好きでも無い、どうしてやるのかさえ分からない。ただ長年組み上げられた社会のシステムの中で生きようとして心が死んでゆく僕達は、まさにハンナの言うところの現象に囚われているのだと断言しても差し支え無さそうだ。一歩ルール作りを間違えた途端、取り返しの付か無い事態に繋がりそうで恐ろしい。こう言ってはなんだが、実に切り口の面白い戦争映画でしたね...



 あれから何十年もの時が流れた。あと30年もすれば戦後100年になる。それだけの年月が過ぎても、人間の本質はなんら変わっていないようだ。あと30年。無事大きな戦争も無く過ごせれば良いなと、小市民な僕は心底思った。
posted by lain at 23:21北海道 ☔Comment(0)映画