良い思い出になっただなんて言うには早いぞ中上貴晶!

YAMAHA、HONDA、SUZUKI、少し前の話をすればKAWASAKIだって参戦していたのに、何故か日本人ライダーが少ないMotoGP。期待の日本人ライダーと呼ばれる若者が現れては不完全燃焼のままサーキットを去ってゆくのを何度となく見守るのは本当に忍びなかった。いつの間にか日本人はもうチャンピオンになれないとさえ思うようになっていた。

そんなイメージが僕の中で出来上がったきっかけは、もしかすると加藤大治郎の死だったかもしれない。2001年に16戦11勝という堂々たる成績で250ccチャンピオンを獲得すると、翌年から最高峰クラスに参戦(グレシーニレーシングが最高峰へ戻れたのも大治郎あってのことだった) 流石に参戦初年度から勝たせて貰えるほどトップライダー達は甘くなかったが、終盤になるともう少しで表彰台という所まで顔を出すようになり、これは来季が楽しみだぞ!と誰もが感じていた。だが、彼はもう居ない。娘に"鈴鹿"(すずか)の別読みで”凜香”(りんか)と名付けるくらい鈴鹿を愛した男は、文字通りすべてを鈴鹿とレースに捧げてしまった。

それ以来、日本人ライダーの活躍は見る見る間に激減し、堅実な走りと運も味方に付け青山博一が250ccでチャンピオンになったことを除けば、一発の速さがあっても詰めが甘く競り合いに弱い若者ばかりでパッとしなかった。そんな柔な若者のイメージそのままだった富沢祥也は、加藤大治郎に来るの早過ぎ!と怒られ、あの人懐っこい笑顔でヘラヘラしていたに違い無い...




そんなこんなで、まるで呪いとしか言いようが無いほどロードレースの世界選手権から見放された日本ではあるものの、ここ数年サーキットで燻っていた中上貴晶が雨の影響もあって逃げ切り初優勝を飾ってしまったから、バイクファンはうっかり期待せずに居られなくなっている。彼も御多分に漏れず詰めの甘さがある男ではあるが、年々メンタルが逞しくなって来たことが成績云々よりも走りで感じることが多くなっていたので、けして今回のMoto2優勝はブラフでは無いと思う。

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たまたま勝ったと言われないために


と、喜びついでに苦言を呈す解説の宮城光の言葉に、僕らMotoGPファンの気持ちが集約されていた。たった1勝の為に命を懸けて走って来たんじゃないだろう?男なら目指す場所は一つだ。周囲の重圧がどうというのはどうでも良い。自分が最速でありたいかどうかをまず考え、そして、阿部典史も加藤大治郎も富沢 祥也も果たせなかった最高峰クラスのチャンピオンを獲るんだ!




日本人でもっとも最高峰クラスの頂点に近づいた男岡田忠之さんが付いているのだから、それくらいの野望を持って走らなきゃ男が廃るだろ?

でも本当に良かったな中上くんよ......

もう少しだけお互い夢を見ようじゃないか........