一番正しい奴は誰だ?一番正しいと思い込んでいるのは誰だ?

 あぁ、やっと今週も終わりだ仕事に行こうと思っていた矢先の昨日の朝、いきなりのフランス立て篭り事件速報。

 気になるニュースだったが、ゆっくり内容を調べてる暇も無く仕事へ行き、お昼にちらっとスマホを見るとテロの文字と死者数の数である。

 またISか.....そう思った。






 ほとんどの日本人はフランスに非常に良いイメージを持っている。フランス人であるフィリップ・トルシエは日本サッカーの躍進に貢献してくれたし、日本より柔道に夢中な国でもある。北野武を始めとするお互いの国の文化を尊重しあえる関係を築いてもいる。様様な映画の舞台になっていたせいか、フランスに遊びにいく日本人も多く、ハワイとアジア諸国を除いた地域で言うと1番人気な国でもある。

 しかし、だからと言って他の国にとっても好ましい国かと言えば、また違う話なのだ。その昔植民地としていた地域への影響力を維持するため、表向きは協力と歌って軍事介入を繰り返す国であるし、自己主張も激しい。今回のテロではフランスによるシリア介入について犯人が口にしていたとも言うし、厳しいことを言えば自業自得ということになるのかもしれない。


 僕はただの無責任な庶民である。ネットをググって知ったこと以上のことも知る由も無い。だからシリアへの介入や、劇場でのテロが、どうしてもやらなければならないことだったのか、どうかは判断出来ない。でも、ただ一つハッキリと分かることがある。こんなことをしても、自らの首を絞めるだけだということだ。せいぜい自分の不甲斐なさを他の誰かのせいにしたい人間だけが、今回のISのテロ行為に魅せられるだけの話だろう。不特定多数を狙ったテロは、ほぼ全ての人間を敵に回す行為でしかないのだ。

 大体何故ISの末端に位置する人達は、指導者達にこう尋ねないのだろう?「自爆を指示するあなたに自爆の覚悟はあるのですか?」と。もしも、自分の行いで世界が変革したとして、そこに自分居ない。その変化も見られない。それで本当に満足出来るというのか?まるで志の低い者の短絡的な陶酔にしか見えてこない。そんな物はクソだ。

 それぞれに価値観が違うのは分かるし、先進国の巧妙なやり口が彼らを追い詰めているのも痛いほど分かっているつもりだ。でも、若者の思慮の浅さと純粋さに付け込み、自らの都合の良い道具に変えてしまうのは言語道断だ。賢く立ち回る連中が相手なら、自分達も賢くなれば良いではないか。もっと違うやりようがある。もしも同じ土俵に立ちたく無いのなら、国交を閉ざしたって良い。ISの度重なる凶行は、もはやジャンキーの火遊びである。目に付いた物を気に入らないとバットで殴り倒す。ただそれだけ。






 生きる意味が見つからないから自殺したいが、ただ死んでも忘れられるだけだから誰かを巻き込もう



 日本で少し前から増えた自分本位で寂しがり屋な犯罪者達の心理がそのままISには当て嵌まる。ということは、日本でも十分起こりうることかもしれない。

 ある程度景気が安定したと言われても、まったく実感出来ず先が見えない日本であるし、これから先、国や裕福な層、更には傍目から幸せそうに見える人々へのやっかみが募って人心が爆発することがあっても不思議じゃない。自衛隊の活動限界を大きく広げる法案が通り、更に国民を管理するようなルール作りに勤しむ今の政権を見ていると、あまりに危なっかしくて仕方ないし、こうしなきゃ!こうでなきゃ!とか考え過ぎず、もう少しみんな肩の力を抜いて生きて欲しいものだとため息混じりに思ってしまう。





 自分の正しさを疑わない者に必要なのは、愛でも爆弾でもなく、まずamazarashiを聴くことかもしれない。


 『一番正しい奴を疑え 自分自身をまず疑え


 と歌う「デスゲーム」他、amazarashiを聴けば自他共に疑うべき存在であることを嫌が応でも思い知らされることだろう。

 盲信はただの思考停止だ。生きることをその時点で放棄しているようなもの。

 どうせ死に逝く人生なら、誰にも踊らされず生きたいものである。


posted by lain at 07:54北海道 ☔雑記