ヒッチコックの人となりを知りたいのならば、ドキュメントより彼の作品を直に観るが吉「ヒッチコック」サーシャ・ガヴァシ(監督)/アンソニー・ホプキンス(主演)

 ヒッチコックっていうと、自分の作品へ記号を振るみたいに自ら出演する監督として有名ですが、大人になってから彼の作品を観直したことが無いので、ほぼ内容はうろ覚え。

 だからこの映画「サイコ」の製作の裏側を描いとされる作品の随所に盛り込まれた小ネタに全然気付きませんでした。





 サイコ自体は映画好きの父親が観ているのを横で一緒に観ていたような気がする。バスルームでの惨殺シーンもよく覚えています。全体像はボヤけて思い出せないけれど....

 既に映画人として絶大な人気を誇っていたヒッチコックらしい悩み(作品の方向性、体調管理、奥さんとの擦れ違い)を抱えていた時期に、如何にして人間の異常な渇望を描いた「サイコ」を作ったのか?そこに着目しつつヒッチコック自身のことを映画にした本作。随所から一筋縄でいかない人物であることが伝わって来ます。覗き穴から衣装部屋の役者の様子を見ていたり、演技が下手なスタントに代わって自分が惨殺シーンを演じてみせたり、自分は女優に入れ込みまくっているくせに奥さんが他の男と共同で執筆しようとするのを嫌がる嫉妬深さを発揮したりするのだ。

 何かを成し遂げる人物。特に創作活動で名を上げる人たちの執着はあらゆる面に表れるものです。異常さを内に秘めた人物を演じさせたら流石の存在感である”アンソニー・ホプキンス”をヒッチコック役に抜擢したのは正解だったかもしれません。顔はお世辞にも似ていないですけどね。

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 この映画を観て改めて思ったのは、どんな偉人もたった一人で成し遂げられるものではないと言うこと。映画を撮ろうと思えば、役者もスタッフも機材も資産も必要になる。実際に起きた恐ろしい事件を元にした小説が原作と言うことで、出資もままならず(トイレで水を流すシーンでさえ不興を被る時代である)悪戦苦闘するヒッチコックが映画作りで心底必要としたのは、脚本家であり自分の作品の良き理解者である妻”アルマ・レヴィル”さんだったに違いない。

 ヒッチコック自身が正しい判断が出来なくなった時、妻としても映画人としても助言をくれる良きパートナーとしてこの映画では大活躍のアルマ。サイコとヒッチコックの裏の顔を描いた映画であるのと同時に、監督ばかりに注目が集まる業界の中で、彼女のような存在がどれだけ重要であるかを撮った作品でもありました。過激なシーンの取り扱いについて倫理委員会とやり合おうとしているヒッチコックに落ち着けと声を掛けたり、私財を抵当に入れてまで撮り始めたサイコが思うように行かず落胆している彼に鞭を入れたりする妻アルマを「第一容疑者」の”ヘレン・ミレン”が彼女らしく演っていたように思います。





 まだまだ保守的な社会であった当時のアメリカで、どれだけヒッチコックが異才であったことでしょう。逆境も自作品の特徴の一つになっているし、自作品のアピールの仕方も上手い。常に新しいこと、誰の手垢も付いていない発明をしたくて仕方ない人だったのでしょうね。自分を傍観者であるだけに留まらず、物語へ介入させたがる入れ込みようからも、彼の映画馬鹿っぷりが痛いほど伝わります。一歩間違えて映画に関わらない生き方をしていたら、エド・ゲインのような人生を送っていたのかもしれませんね。

 結末は知ってるけど、無性にサイコが観たくなる映画でありました。


posted by lain at 07:22北海道 ☔Comment(0)映画