ゲームボーイが生まれた日。そして僕のゲーム愛が死んでゆく...

 今日はゲームボーイが発売された日だ。

 SFCが出る少し前に任天堂が送り出して来たゲームボーイは、映像こそ白黒ではあったものの、親の目を気にしながらTVの置いてある部屋で遊ばねばならなかったファミコンと違い、場所を選ばないから子供時代実に重宝したものだった。

 しかし、僕は大人になるにつれて、携帯機から遠のき、急速な進化を遂げる据え置きのパワーにひれ伏して、世の不況に相反して伸び続けるハイエンドな家庭用ゲームに夢中になった。

 だからというわけでも無いが、わざわざ家に居る時にまで携帯機で遊ぶ大人の気持ちが分からない。携帯する必要が無い場所で、スペックの劣るハードを遊ぶ理由が僕には無いのだ。



 無論ハードの性能向上とゲームの楽しさは比例しないのだから、非力でも携帯機の必要性は十二分にある。タッチパネルが当たり前のように搭載され、画面が手元にあるからこその遊び心地が提供出来るのも魅力的だ。何時でも何処でも使えるのも良い。先端のソフト開発はハードの性能に振り回されたり頼りすぎたりなところがあって、肝心のゲーム性が単調であることも多く、それに対し非力な携帯機はいかに狭いところに纏めるかが大事だから、シンプルなアイディアが楽しく飽きさせないソフトが多い気もする。


 しかし、そんなアイディア勝負の携帯機向けゲームも、個人的な感覚としては一部のソフトを除きパッケージデザインが違うだけで内容は似たり寄ったりで単調な気がしてならない。同じようなローテーションの繰り返しを続け、終わらないループに閉じ込められてしまったような感覚である。

 今更言いたくも無いが、業界全体がそうなりつつある原因を作っているのは無料ゲーである。次々と出て来る新しいゲームの”側”の違いに乗せられ、ついつい遊んで見るものの、よくよく考えてみたら楽しいからではなく、ボタンを押すたび報酬が出て来る感覚に安心するからゲームを続けていたりしないだろうか?漂白観念に駆られて身体が動く、それではただの生活習慣病である。知らぬ間にタバコを咥えている喫煙者と何も変わら無い。何かの拍子にしばらくログインしなくなれば、無料ゲームなどあっという間に人生に必要無い物になるはずだ。




 ハッキリ言ってゲームなど人生に不要である。止めてしまえば無くて困る物では無いことに気づくことだろう。でもまだ止められ無い。ここまで書いても僕はゲームをしている。間違いなくゲームで心が震えた季節が僕にもあったからだ。

 とにかく今は、人生に残された時間は有限なのだから、同じ不要な物でもよりマシな、少しでも有益なコンテンツを消化したい気持ちが強い。どうせ騙されるなら完璧に騙されたいのだ。

 それにしても、無駄に目が肥えて、つまら無いことばかりを口走る。年老いるというのはこういうことなのだと痛感する日々であります。



 出来ることならゲームボーイを自転車のカゴに放り込んで仲間と走り回ったあの時代に戻りたいものだ.....
posted by lain at 07:04北海道 ☔Comment(0)ゲーム