塩基配列では証明出来ない絆「八日目の蝉」/成島出(監督)/角田光代(原作)/ 2011年/映画/感想

 鳥類には”刷り込み”というものがある。産まれて直ぐ眼前に捉えた対象を親だと認識する習性で、相手が犬だろうが象だろうがお構い無しに、産まれたその時から”親子”が成立してしまうのだ。


 「鳥って馬鹿だな」


 そう思うだろうか?だがしかし、残念ながら刷り込みは鳥類だけの習性では無いのです。ほ乳類にも起こりうることなのだそうだ。

 流石に人間は産まれて直ぐに眼にした対象を、とはいかないようですが、もしも育てる親が入れ替わっていたとしたら産まれて間も無い赤ん坊に判断が出来るはずもなく、そのまま育てられれば必然的に目の前で微笑む相手を親と呼ぶようになるわけです。

 「八日目の蝉」は、そんな危うい生き物の習性が招いた哀しい物語でもあるかもしれない....




 妻がいる男を愛した女が、その男との間に出来た子供を下ろしたところ、一生子供を作れない身体になってしまい、そんな矢先、男の妻に子供が出来たと知った女は、一目その子供を見たい衝動に駆られ、男の家に侵入し、出来心で子供を連れ去ってしまう。

 子供が4才になった頃、女はとうとう捕まってしまい、映画の冒頭は、その女と、その女に子供を奪われた母親の陳述から始まります。

 真っ暗な中から浮き上がる、産みの母と、育ての母。憎しみを隠せない女の言葉と、満足気な女の後悔の無い言葉。どちらに非があるかは明らかなのに、どちらが敗者なのか分らない裁判風景でとても印象深い。

 その後は、大きく成長した女の子が当時の事件について書かせて欲しいと懇願するライターと、誘拐犯と過ごした場所を巡って進行するのですが、偽りの母娘の過去話が兎に角切ない。いつ終わりを迎えるか分からない生活に怯えながらも、子供の笑顔に励まされ、子供に出来ることを精一杯やろうとする女の必死な姿と、それを慕う子供の盲目な愛情表現。もう途中から本当の親子では無いことを忘れてしまいそうだった....

無論、子供を奪われた母親にしたらたまったものでは無いだろう。作中でも何度か手元に戻った子供とコミュニケーションが上手く取れず実母がヒステリックになっていた。女性の中には、この誘拐犯の女に全く共感出来ない人も多いかもしれない。誘拐犯の母性ばかりが美化されて描かれているのも、公平さに欠けて納得出来ない理由になりそうだ。


しかし、この二人が育んだ愛情に嘘は無い。誘拐犯は確かに娘を愛し、娘も母を愛した。大事なのその事実なのだ。

誘拐によって本当の親から愛し方を教えて貰えなかった女の子が、忘れ去っていた過去を辿る旅で、わずか四年間であっても確かに愛されていた事実を思い出して涙する姿は、二人の愛が本物だった証拠でした。

 いっそ人間にも刷り込みの習性があれば良かった。そうすれば、誘拐した女のことを母親だなんて信じずに居られただろうし、こんなにやり切れ無い想いに悩まされることも無かったのだから。



憐れみだけで観てはいけない物語だけれど、あの微笑ましい母娘を見ていたら、1日でも長く二人の幸せな時間が続いて欲しいと、タイトル通りまんまと思わされる作品でしたね。

それにしても、1番悪いのは子供を下ろさせた浮気な旦那ですな。同じ男として非常に嘆かわしいです....(/ω;\*)
posted by lain at 07:10北海道 ☔Comment(0)映画