「英国王のスピーチ」で吃音症のジョージ6世を演じた”コリン・ファース”が、同じく”ジョージ”という名を演じていたのがこの映画で、ゲイの大学教授が長年連れ添った恋人を交通事故で亡くし、自暴自棄になった彼は自殺を考えるものの彼と積極的に関わろうとする人々のおかげで思い止まるのだが、残酷な運命はお構いなしに訪れ、最後はとても寂しいエンディングを迎える作品です。
本筋は大昔から描き尽くされて来た内容ですし、共産主義との終末戦争の様相を呈してした時代の不安定さや、まだまだゲイの肩身が狭かったアメリカというのも特別な舞台設定ではありません。
けれど、恋人の死体へ近づき口づけをする夢オチOPの静けさや、彼の感情の高まりに応じて鮮やかさを変化させる演出が素晴らしく、世間に理解されない唯一の愛を失い、全てがそらぞらしく見える時の色と、それでも生への希望を感じてしまう時の色が主人公の心象を見事に表現していたのが面白かったです。
他にも一見無意味に見える主人公視点のカットの数々も効果的で、人間とは常に独りであるけれど、決して独りでは生きていけないという事が痛いほど伝わって来て、非常に物悲しく寂しい気持ちになりました。
同性愛をモチーフにしているので、敬遠して観ていない人もいるかもしれませんが、純粋さを性別の差で推し量らず、しっかり心の眼を開いて見てみれば、嫌悪感以上の何かが見えて来るはずだと思いますし、激しい性交シーンなども無いので観やすいです。
主演の”コリン・ファース”はノンケで奥さんもいるし子供もいます。それでもこれだけの演技を出来るのだから、少しでも人を愛した事がある人になら、「シングルマン」の孤独を理解出来る事でしょう....
こういう役どころは、実生活でもゲイである役者がやった方が良いような気がするのですが、実際のところゲイだとカミングアウトした役者には、異性愛者役も同性愛者役も回って来なくなる傾向にあるそうだ。
下手に気を使ってしまうという事なのか?ただの迫害なのか?
どちらにせよ、良い役者なら性のベクトルがどちらに向っていようと、業界から抹殺するような事はしないで欲しいものですなぁ。
そういえば告知用の写真には、主人公がまだゲイだと自覚していなかった時の恋人”ジュリアン・ムーア”がコリン・ファースと並んでるけど、死んでしまった恋人役の”マシュー・グッド” や、主人公の状態を気に掛ける男子学生役の”ニコラス・ホルト”の顔は無かったですし、その辺りから既に偏見という風当たりの強さを避ける為の考慮だったのかもしれませんね.....
関連過去記事
『え、えい、こ、こ、こ、くおうのぉ...「英国王のスピーチ/トム・フーバー(監督)/コリン・ファース(主演)/2010年/英国/映画」』