夢も希望も大切な誰かが居て初めて輝きだすのかもしれない「TENET/テネット」クリストファー・ノーラン(監督・脚本)/感想

人を縛るものは、この世界に山程ある。法律、家族、恋人、病、自分自身だったりすることもあるだろう。

そしてそれら全てを縛るものが存在する。時間である。









60秒で1分。60分で1時間。24時間で1日。そうして今現在も時間は刻一刻と進み続けている。こんな内容のスカスカなブログを此処まで書くだけでも既に30分を要しているのだ。うっかりしていたら、さっさと身体の細胞が劣化して気付けば棺桶の中だろう。それが人生の醍醐味だなんて、まだ思いたくは無い。

こんな切り口で始めているが、C・ノーランの新作「TENETテネット」は自分の人生をやり直す為にどうこうと云うだけの作品ではない。特殊部隊の隊員である主人公が、時間の逆行を利用した攻撃から世界を救う極秘ミッションを強いられるというもので、正体も分からない未来の人間達が過去に介入して来ているという事実が非常に不気味。しかも大筋はシンプルなのに、スパイ要素や時間の逆行と順行の入り混じる進行のため、自分が今何処で何時の出来事を見せられているのか分からなくなってゆくのが、なんとも言えずノーラン作品だなと思わされた。

そもそも逆行とはなんぞや?それも自分には上手く説明出来ない。ネタバレ云々の前に、ネタのバラし方が分からないのだ。本作なりのタイムパラドックスに対するアプローチをしっかり理解出来ないと、細部まで味わい尽くすことは不可能に違いない。SF考証に関してだけならば、女性客は辟易して帰って行きそうな気さえする。ただ、キャラ見で楽しむことは出来るので、正直腐れ好きにはお勧めしたいところ。何がどう腐れなのかは言いたくないが、もう1人の主役とも言える男の存在は本当に狡いものだった。誰でも惚れるわあんなもん!と、怒りたくなるほど魅力的だったことだけは明記しておきたい。




逆行と順行が交わる瞬間の表現が肝だったテネット。複雑な構造故ピンと来ない人も少なくないに違いないが、人類が引き起こしている環境の激変や国家間の争いから、女性の尊厳に至るまで、広い範囲に響くテーマがあったように思う。ガッチガチの理詰めなのに、未来に淡い希望を残している作りも個人的には好印象だった。人生のうち、2時間30分を費やしても惜しくないくらい楽しめることを保証しよう。

蛇足になるかもしれないが、本作で描いていない部分を掘り下げたスピンオフドラマなどもヤル気があるならやって欲しいものだ。逆行出来る装置を作り上げるまでの出来事であるとか、主人公とあの男の出会いであるとか、今より遥かに人類が希望を持てなくなっている未来の理由なども観てみたい。

どうせ暗い内容になるのが分かっているのに、救い難いものである...









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失敗の無い人生なんてクソゲーだ。薬物でもなんでも、やらかしてからが本番じゃ無いか。

また後輩経由で芸能人の残念なニュースを知った。伊勢谷友介の大麻取締法違反である。



ろくに邦画を観なくなってだいぶ経つが、伊勢谷氏の演技に関しては印象深く残っていた。宇多田ヒカルの元旦那である紀里谷和明さんが監督した『CASSHERN』で初めて意識した役者さんだが、あの独特の作りと世界観の中で、あれほどの演技が出来ていたのだから十分素晴らしいものだった。作品自体はPVを主に作ってきた紀里谷さんらしいオナニーっぷりで賛否が飛び交っていたが、個人的にはその恥ずかしいまでの自己陶酔がたまらく愛おしかった。綺麗な物だけを集めても、決して映画にはならないことを世に知らしめる意味でも、ある意味大成功の映画だったろう。

その後彼の出演する映画に出会したのは2011年の「あしたのジョー」だ。






”ちばてつや”さんの漫画原作や出崎統監督によるアニメ版も不朽の名作として愛されている「あしたのジョー」の実写化と云うことで、勿論地雷臭しかしない(丹下段平のコスプレをする香川照之を直視するには相当な精神力が必要だった)から、本当に出来心でついといった感じの視聴ではあったものの、主役のライバルとして登場した伊勢谷くんの鬼気迫る演技に周囲が引っ張られたのか、試合のシーンが意外とよく出来ていて感心したものだった。漫画原作の映画に出演する機会が多かったように思うが、もっと本格派な作品だけに絞っても役者として食べて行ける人ではなかっただろうか?



あまりにも薬物関係で捕まる有名人が多いため、今回あまり動じていない人も多いようだが、個人的には少々寂しいニュースに感じた。役になり切る人と云うのは、それだけで心に負担がかかるし、演技をしている自分を本当の自分のように感じて接して来るファンなど、ただただ重荷でしかないはずだ。現実と乖離した自分が一人歩きして行くわけだから、役者と云うのは非常に辛い仕事である。自分を上手に俯瞰出来る人間でもなければ、まともな神経のまま偽りのイメージと付き合い続けるだなんて無理に決まっている。言うなれば伊勢谷くんは人間らしい人間だったと云うだけかもしれない。


こうした事態が起きると、彼に関する映像作品の扱いに影響が出てしまうものだが、それはそれ、これはこれである。彼にも良い頃があった。その頃の彼まで否定する必要などないのだ。

薬物は止めても止めてもキリがない場合が多い。彼が更生出来る保証もないだろう。

しかし、amazarashiもこう歌っているではないか。



”勝てない訳ないよ自分なら

 僕が一番分かってる僕の弱さなら”



ものは言いようである。考え方次第である。

自分などもそうだが、決めつけが先にあるから前に進めないだけなのだ。








素晴らしい演技が彼を苦しめるだけならば、もうそんなもの観なくても良い!そう本心から言えない自分がどうしても居る。それどころか身を削ってでも何かを残そうとする人の美しさに勝るものなど何もないとすら思っている節がある。芸の肥やしになるならと、様々なことに寛容だった時代の方が、遥かに凄みのある役者がいたのではなかろうか?

彼だけの話に留まらないが、会社やファンに好き勝手に消費された挙句、スキャンダルでハイさようならとなるのだけはやめて欲しいものだ。この経験が必ず役にたつのが役者という職業でもあるのだから。



サイヤ人でも無いが、一度や二度死にかけた方が強くなれるのが役者で間違いないだろう。
posted by lain at 23:29北海道 ☔映画

死に近づく日に感謝の言葉を

先週末の土曜日の肉の日、42度目の誕生日を迎えた。

その日も普通に働き、普通に草臥れて帰宅したわけだが、普通に日付を記入するような事務仕事もこなした割に、自分の誕生日であることに気づきもせず、帰宅後家族に言われてようやく思い出した。日頃から自分の誕生日なんてどうでも良いと言い続けて来たが、とうとう気づかない程どうでも良くなって来たようである。


「誕生日を迎えると云うことは、死に一歩近づいた証拠でしかないのに何がめでたいのか?」



これまでそう嘯いて来た。それは本心でもあるし、逃れられない真実でもある。でも生まれてきたことを肯定する意味での「おめでとう」があることも分かっている。そしてその手の言葉に最近弱い。独り強がっていられる季節は、とうに過ぎ去ってしまった。42歳とはそういうものなのだ。

Twitterで誕生日を失念していたと素直に呟いた土曜の夜、正直”いいね”すら期待していなかった。何せ土曜の夜だ。ほとんどの人は休日である。呟きを逐一見ている暇などないだろう。にも関わらず数人の方が返信までくれた。「おめでとう」と。年下のフォロワーはいつもより堅く、同年代に近い人はざっくばらんに言葉をくれた。普通に嬉しい誤算だった。

Twitterを始めて10年経ち、親しくしていた人のほとんどは呟かなくなったり、方向性がズレて絡んでくれなくなった。こちらからの一方的な”いいね”しか存在しない相手もいる。こちらの呟きに興味がない、もしくは不快だと云うなら解除なりブロックなりして欲しい無反応の相互フォローの方も増えたが、そう言っている自分も、そうしないのだから不思議な距離感である。



どんな形であれ、繋がっていることに安心を得ているのだろう。どんなにスタンドアローンでありたい、自分はそれで大丈夫と思っていても、心の深いところでは誰かや何かを頼ってしまう自分がいる。身体以上に心を蝕むコロナ渦であればこそ、強くそう感じる出来事だった。




おめでとうを云える全ての人に、おめでとうが届く世界でありますように。

そう祈るくらいは許されそうな気がした。
posted by lain at 02:20北海道 ☔雑記